福西崇史のサッカー上達法&トレーニング法『PROGRESSMETHOD』 株式会社アシュラワークス [福西崇史の上達法 PROGRESSMETHOD]

福西崇史のサッカー上達法&トレーニング法『PROGRESSMETHOD』

福西崇史の上達法 PROGRESSMETHOD



ここで福西氏の現役時代をよく知る方々に福西氏の優れていた点をお聞きしました。
日本を代表する選手、監督にお話しを伺いましたので、福西氏がいかに素晴らしい選手だったかわかるかと思います。


1986年9月12日愛媛県生まれ。
東福岡高校から明治大学、FC東京を経て2010年7月にイタリアセリエAのチェゼーナに加入。
2011年1月にはセリエAのインテル・ミラノへ移籍。
2010年南アフリカワールドカップでは全試合にフル出場。
2011年アジアカップにも全試合出場し、タイトル獲得に貢献。


FC東京でわたしがまだ強化指定選手だった頃に福西さんのプレーを間近で見ていたのですが、フィジカルの強さは勿論の事、バランス感覚の良さに驚きました。相手選手とぶつかって体勢が崩れても正確なボールが蹴れる、本当に凄い選手でした。シーズン前の自主トレーニングを一緒にやらせてもらった事があるのですが、何よりも驚いたのは福西さんの向上心です。練習やトレーニングでも何か疑問があったら直ぐにトレーナーやコーチにぶつけて、正確な知識を吸収しようとする。当時福西さんは代表でのキャリアも多く、わたしから見たらそんな選手が、トレーナーに色んな質問をぶつけて、色んな知識を吸収しようとしているその姿勢に驚きました。どんなに長くプロ選手をやっていても、どれだけ多く代表で試合に出ていても、成長しようとするその姿勢がプロには何よりも大事だと福西さんから学びました。
プロ選手として経験したこと、代表選手として感じたこと、ワールドカップでの経験。わたしらが小さい頃はそんな指導者に教えて貰うことは御座いませんでした。福西さんご自身が世界で戦って感じた「子供のころに必要なこと」「伸びる為には何を学べばいいのか」そして何よりも、わたしが福西さんから学んだ「向上心」「成長しようとする姿勢」それを子供たちは学ぶことが出来ると思います。

PROGRESSMETHOD

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1977年2月7日大阪府生まれ。同志社大学経済学部卒。95年にガンバ大阪でプロデビュー。抜群の戦術眼と守備統率力で活躍し、Jリーグ通算332試合出場で8得点(2010年9月20日現在)。各年代の日本代表を経験し、国際Aマッチは71試合出場3ゴール。
02年日韓大会および06年ドイツ大会の2度のワールドカップに出場、キャプテンとしてチームを支えた。
07-08年のオーストリア1部リーグ、レッドブル・ザルツブルクでのプレーを経て、2009年Jリーグ復帰、現在までヴィッセル神戸にてプレー。自身がプロデュースのフットサルコート(MIYAMOTO FUTSAL PARK)をオープンする等フットボール文化の普及にも関心が高い。

ボランチの位置にいながらもするすると攻め上がって、ゴールを決める得点感覚は抜群でした。また体の強さを活かしたセットプレーの強さも、相手チームからすると脅威の一言でした。試合の流れを読む力が素晴らしく、戦術眼に優れていたのでしょう、ゆっくりと試合のリズムを作る時と、速く攻める方が得策な時とのメリハリをつけ、躊躇なく最善の手段を選択出来る貴重な選手でした。攻撃の芽を摘む能力も高く、相手と互角の体勢でボールを競り合う場面では、腰の強さで体を入れ、殆どの場面で競り勝っていましたよ。
また彼のサッカーに取り組む姿勢は素晴らしく、仲間とコミュニケーションを取りながら、どうすればより良いサッカーを作れるのか、常に考えていたように思います。彼は非常に「駆け引き」や「戦術眼」に優れた選手でした。今後、日本サッカーが強くなる上で欠かせない要素だと思いますので、子供たちにも、そのエッセンスを注入してくれるのでは無いかと期待しています。
サッカー上達法
1972年11月28日静岡県生まれ。元日本代表。日本サッカー界屈指の“レフティ”として、ジュビロ磐田に入団。同年日本代表に選出され、日本代表デビュー戦で急に得点をマーク。ゲームを組み立てる能力が高く、日本代表に定着(68試合に出場、7得点)。
98年日本が初めて出場したフランスワールドカップでは10番を背負う。その後、99?00年、セリエA“ACヴェネチア”に移籍。
2000年アジア大会では大会MVPを獲得。
2008年現役を引退し、現在はジュビロ磐田のアドバイザーを務める傍ら、「やべっちFC」のレギュラーやサッカー解説者としても活動中。

福西崇史の上達法 PROGRESSMETHOD

福西崇史のサッカー上達法&トレーニング法『PROGRESSMETHOD』

子供の頃に習っていたという体操教室のおかげでしょうか、体の柔軟さには目を見張るものがありました。また、柔軟な中にも芯の強さがあったのは、取り組んでいた体幹トレーニングの成果なんでしょうね。足元の技術にも優れ、ボール奪取能力も高く、日本最高峰のボランチでした。彼はとても練習熱心で、その一生懸命取り組む姿勢や練習量は、周りの人間にもとてもいい影響を与えていましたよ。
彼は日本代表に選出される前、各カテゴリの代表は経験していません。努力をつづける事で日本代表の中心選手にまで成長をしました。一生懸命前向きにサッカーと向き合った結果だと思います。技術面だけでなく、メンタル面やサッカーに取り組む姿勢、彼から学ぶことは多いと思いますよ。


1958年4月4日静岡県生まれ。
現役時代はディフェンダーとして、ユース・ユニバーシアード・日本の各代表として活躍。
その後は指導者の道へ進み、コーチ・監督として多くの日本代表選手を指導。
世界の舞台で活躍する選手の育成に大きく貢献。
2004年のアテネ五輪では、日本代表監督を務めた。
現在は、サッカー解説者として活躍。

練習や自分のプラスになる事は、全ての力を出し切ってやりきる。自分の現状を冷静に見極め、足りないと思った事は専門家にアドバイスをもらい、とことんやりきる。コーチやトレーナーが舌を巻く程、常に熱心な男でした。
そんな点も、当時ブラジル代表で不動のボランチだったドゥンガの目に留まった理由の1つでしょうね。ドゥンガの指導の下、一気に才能を開花させた福西。視野の広さ、バランス感覚、フィジカルの強さと安定した技術、首脳陣は福西のプレーを安心して見ていましたよ。プレー1つ1つの技術の質の高さとフィジカルの強さが福西の強みでしたね。
ワールドカップ出場を2回経験している事で世界と戦う為に必要なスキルやフィジカル、メンタル面等、次の日本サッカーを担う子供たちに実体験を基にした素晴らしい指導が出来ると思いますよ。


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